オロハウス書斎 한국어로 읽기 → 한국어版

観相は何を問うたのか

観相 東西対照 ① — 総論

顔を見る二つの方法

顔を見て何かを読み取ろうとする試みは、東洋にも西洋にも存在した。だが、ヨーロッパにおけるこの試みは20世紀初頭に崩壊する。イタリアの医師チェーザレ・ロンブローゾが「犯罪者には生まれつきの顔がある」と主張したが、1913年、イギリスの刑務所医務官チャールズ・ゴーリングが受刑者三千余名の身体を測定し、王立工兵隊の兵士たちと比較した結果、有意な差を見出せなかった。 顔で犯罪者を見分けるという発想は、そうして統計の前に終焉を迎えた。今日、英語圏で「physiognomy(観相)」という語は、疑似科学の同義語に近い。

ならば、東アジアの相法もまた同じ運命をたどるべきなのだろうか。

本シリーズはその問いに答えるために始まる。そして最初に確認すべきは、東洋の相法がそもそも何を問うたのかである。同じ問いだったのなら同じ判定を受けるべきであり、異なる問いだったのなら異なる物差しが必要になる。

結論から言えば、問いは異なっていた。

五つの官職

東アジア相法の中核概念のひとつが五官である。耳・眉・目・鼻・口の五つの部位を指す。ところが、この五つを呼ぶ名前がただごとではない。

『神相全編』はこう命名する。

部位 名称 意味
採聽官 拾い聞く官
保壽官 寿命を守る官
監察官 見張り調べる官
審辨官 審らかに弁別する官
出納官 出し入れする官

すべて官職名である。採聽・監察・審辨・出納は実際の官庁の職務を指す語であり、保壽だけが隠喩的である。

この命名法こそが本稿の核心である。顔の五つの部位を官職として呼ぶということは、その部位を何かを行う持ち場として見ているということだ。耳は聞く仕事を担い、目は見張る仕事を担い、口は取り入れ送り出す仕事を担う。顔はひとつの朝廷であり、五つの部位はそれぞれの職務を持つ官員なのである。

ここには「この顔は犯罪者のものか」という問いが入り込む余地がない。問いは「この官は自らの職務を果たせる状態にあるか」である。

「成る(成)」という判定基準

この違いは条文の形式においていっそう明確になる。五官の各条項は例外なく「〜であれば、すなわち○○官が成ったのである(乃為○○官成)」で終わる。

監察官:眼須要含藏不露,黑白分明,瞳子端定,光彩射人,或細長極寸,乃為監察官成。

監察官:目はすべからく(光を)含み蔵して露わにせず、黒白が分明で、瞳が端正に定まり、光彩が人を射るようであり、あるいは細く長くして一寸に達すれば、すなわち監察官が成ったのである。

「成」は完成・成立を意味する。条件を備えればその官が立ち、備えなければ立たない。これは人を分類する言語ではなく、状態を記述する言語である。

そして相法の伝統は、一官が成れば十年の貴顕を享受する(一官成,十年之貴顯)という原則をあわせて伝えている。ここでも判定の対象は人ではなく期間である。顔のどの部位がどの時期と対応づけられ、その部位が自らの条件を備えているかを見る。実際、相法は部位ごとに運限、すなわち担当する年齢帯を割り当てる — 眉が成ったという言葉は、眉が担う十年が順調だという意味であって、その人がどのような部類の人間だという意味ではない。

通念を正す条文たち

相法が単純な吉凶判別表であったなら、世間の通念をそのまま踏襲したはずである。ところが原典は逆へ行く。

耳は大きいほど良い? 採聽官の条文をそのまま引けばこうである。

採聽官:耳須要色鮮,高聳於眉,輪廓完成,貼肉敦厚,風門寬大,謂之採聽官成。

採聽官:耳はすべからく色が鮮やかであるべきで、眉より高くそびえ、輪郭が完全に成り、肉に貼りついて敦く厚く、風門(耳孔の入口)が広く大きくあるべきであり、これを採聽官が成ったと言う。

色・位置・輪郭・質感・開口部の五層を要求しているが、大きさは条件一覧にまったく含まれていない。 大きな耳が福耳だという通念と食い違う。相法は耳を見るとき、大きさではなく色と輪郭をまず見るのである。

目は輝くほど良い? 監察官の条文の第一条件は含藏不露、すなわち光を含んで露わにしないことである。良い目とは輝く目ではなく、光を蔵した目である。後に続く凶相の条文 — 浮光(浮いた光)・露出・斜視 — は、すべてこの「蔵」の原則に背いた事例として構成されている。

眉は濃いほど良い? 保壽官は広く開け、清く長いこと(寬廣清長)を求める。『麻衣神相』は同じくだりを「清くして細く、平らかにして闊く、秀でて長くあるべし(清而細,平而闊,秀而長)」と記す。濃さではなく清らかさが基準である。

三つの条文はいずれも通念と食い違う。通念に従って作り上げた体系であれば、出てくるはずのない結果である。

そして二つの書物の答えが異なる

もうひとつ押さえておくべきことがある。同じ伝統に属する二つの書物が、同じ項目に異なる答えを出す場合があるのだ。

眉の中の黒い点について、『麻衣神相』は一括して「聡明にして貴く、智慧がある(聰貴而惠)」と読む。一方『神相全編』は位置を分けて読む — 眉の真ん中か、頭側か、上側かによって解釈が変わる。

もし相法が「この特徴=この結論」という判別表であったなら、この不一致は致命的な欠陥である。しかし解釈の伝統なら話は別だ。同じテクストをめぐって注釈家たちが異なる読みをすることは、経典解釈においては日常茶飯事である。

この不一致こそが、相法の性格を教えてくれる手がかりである。これは測定表ではなく、読みの伝統なのだ。

それでは何を問うたのか

まとめれば、東アジア相法が投げかけた問いは次のようなものであった。

「この人は犯罪者か」は問いのリストに存在しない。 存在しようがない。官職の隠喩で編まれた体系から出てき得る問いではないからである。

ところが、まさにその問いを正面から投げかけた人々が19世紀のヨーロッパにいた。そして同じ時代に、同じ顔を見ながらまったく異なる問いを投げかけた人物もいた。チャールズ・ダーウィンである。

次回は、西洋が顔に何を問うたのか、そしてなぜ一方は科学となり、一方は崩壊したのかを見ていく。


引用原典

東洋 - 『神相全編』 — ハーバード燕京図書館所蔵の明代刻本、全10冊573葉(Harvard-Yenching Library, drs:53262204)。五官の条文は卷之一に収められており、卷之一の目録に「十二宮五官之圖」が確認できる。 - 『麻衣神相』「相眉」

西洋 - Charles Goring, The English Convict: A Statistical Study (London, 1913) — 受刑者約3,000名を対象とした統計研究により、ロンブローゾの「生来性犯罪者」仮説を反証 - Cesare Lombroso, Criminal Man (English ed., 1911) — ⚠️ 廃棄された学説の史料としてのみ引用する。 本シリーズは彼の主張を根拠として使用しない

※ 五官の条文の葉単位での精密対照は、後続の部位別の回で行う。本シリーズは通行本ではなく明代刻本の原文を基準とする。

本シリーズについて

『神相全編』・『麻衣相法』・『風鑑相法』など明代刊行の原典と、ダーウィン『人及び動物の表情について』(1872年初版)・ロンブローゾ『犯罪人』(1911)を並べて読む全8回のシリーズです。原典はすべてパブリックドメイン版を直接対照します。

次回 ② ダーウィンとロンブローゾ — 同じ時代、分かれた道

本シリーズと同じ原典対照の方法で四柱・命理レポートを作成しています → olo.house